自慢でも自己満でもなく心の赴くままに

怠惰な大学生。アメブロに載せた記事で個人的に気に入ったものを再掲してます。今後はこちらに移行予定。

ヨコハマは山の街!

※当記事はアメブロで2020年2月7日に公開したものです。

本日所用があり、戸塚まで出向いていた。
横浜から戸塚まで東海道線を使った。
毎度思うことだが、横浜駅から戸塚駅までは一駅なのにも関わらずかなり遠い。
乗車時間約十分。調べてみると12kmも離れているらしい。


こりゃ途中で腹痛などに襲われた日には、脳内に降臨した名前も知らない神様に祈り続けることになる。
「普段信仰心がなくてゴメンなさい...。どうかこの腹痛を止めてくださいまし...」


腹痛とは厄介なものだ。
まるでsinカーブのように、暗黒時と安定期が交互に押し寄せる。
それで電車が駅についた時が安定期だと、
「あーコレは降りるほどでもないな〜」
とか言って、そのまま乗車し続けるのだが、次の駅に到着するまでにまた暗黒期が訪れるのだ。
あの時の冷や汗と言ったらもう...。


話が腹痛にずれてしまったが今日書きたかったのはこんなことではない。
タイトルにもある通り、横浜は山の街!というつまらないことである。ならなんで書いたんだよって感じだけども。。。


俺は電車内で暇な時、車窓を眺めて黄昏ることがよくある。流れていく景色をみると何故か妙に落ち着いて平和な気持ちになれるからだ。
今日も帰りに戸塚から横浜までの12km分の車窓をなんの気もなしに眺めていたのだが、よく見ていると地形の変化が凄まじいことに気付く。
特に保土ヶ谷駅から東戸塚駅の間の起伏が凄まじい。
ちょうど電車が走る部分が谷底になっていて、線路の両端が斜面になっているのだが、その崖の部分にコレでもか!というくらい住宅が密集していてなかなかダイナミックな景観である。
家々は崖にしがみつくように立ちならび、マンションすらも傾斜にしがみつくように鎮座している。
昨日だったか、逗子の女子学生が土砂崩れに巻き込まれて亡くなるという痛ましい事故が起きてしまったが、横浜のあそこらへんもなかなかヤバそうである。
で、その凄まじい起伏を過ぎた後は緑の山々。
ところどころ木が伐採されていて、露出した土壌が辛うじて都会の気配を残しているものの、みなとみらいや山下公園しか知らない地方の人々にここは横浜であると言っても誰も信じないだろう。
そんな起伏の激しさもあって、俺は12kmの間ずっと車窓に釘付けになっていた。


実際、横浜は山の街だ。
先ほども言った通り、海が広がっていて観覧車がロマンチックで、赤レンガがあってデートに最適〜ってやつはみなとみらいと山下公園の一帯だけであって、横浜の9割は山である(それは言い過ぎかな...)。
横浜市民が「どこに住んでるの?」と聞かれた時、「横浜です!」と答えるというのは半ば公式化してしまったが、その時の相手の反応も「横浜ってオシャレでいいよね!」って感じなのも公式化してしまった。
だが、実態はお洒落などではなくマウンテン。
たまに西区や中区以外に住んでいてそれ以外の地域をバカにする横浜市民がいるが、それは筋違いだ。
むしろ横浜の実像が山で、海は虚像に過ぎないのだ。


つまり何が言いたいのかというと、テレビなどで横浜を紹介する時、マウンテンの街ヨコハマ!という常套句を付け加えるべきである。
そうすれば度々ネットで揶揄されてしまう、俺のような横浜マウンテン民にも堂々と横浜市民を名乗る権利が与えられるようになるだろう。

時間を忘れた現実逃避

※当記事はアメブロで2019年10月20日に公開したものです。

やらなければならないことがあると頭では分かっていても行動に移せないことが多々あり、
そういうときは大体、やらないことを正当化する理由を探してしまう。


俺はいつものように自習室へと家を出た。
最近よく受験関係の夢でうなされて起きることがある。不安を消すには、不安する暇ないくらい努力を重ね、かりに失敗しても後悔のしないと思えるくらいの過程を築かなければならないことは頭では理解しているはずなのに。。。


自習室受付カウンターの前に立ってみたのだが、財布の中に学生証がないことに気づいた。
昨日履いていたズボンのポケットに入れたまま財布に戻し忘れていたのだ。
学生証がなければブース型自習室は使えない。


あぁ正当化する理由ができた。
愚かな俺は一抹の悦びを感じる。
「そうだ、中原図書館へ行こう」
こういうときの行動力だけは自慢できる。
少しの時間だけでも勉強から逃れたくて、俺は東横線に乗った。
電車の中では一応政経の参考書を開きながら。


電車の中はけっこう集中できる。
自習室に篭っているときは、ただ勉強しているだけで時間が過ぎていく恐怖というか形容し難い感覚を覚えることがあるのだが、電車に乗ることで「移動」という行為が加わる。
それだけでなにもしていない時間が何故か正当化できるような気がするのだ。


流れる車窓は俺の心を少しばかり癒してくれた。
学歴主義とはなんなのだろう。いまの俺がそんなことを考えても負け犬の遠吠えにすぎないが。


高速で流れる車窓を眺め、武蔵小杉で下車する。
時刻は9:58。ちょうど東急スクエアの開店時刻だった。
お店の開店時間に居合わせるのはとても久しぶりな気がして、少し嬉しくなった。
一番乗りだ。
はやる童心を押さえながら図書館へ向かった。


図書館は開館からまだ30分しか立っていないのに大勢の人であふれていた。
パソコンで作業をするサラリーマンらしき人、新聞を読んでる老人、そして何より同じ立場の受験を控えた学生。
俺はこいつらに負けた。敵を目前にして少しの焦りを感じた。


自習用机の空きを探す。
驚くことにもう満席だった。
皆、開館前からずっと並んでいたのか。
俺は少しの苛立ちを覚えたが、他人のその熱意には少し敬意の念を覚えた。
だが、席取りだけはどうも腹立たしい。
平和ボケしやがって。南米とかだったらとっくにお前の荷物も置き引きされてるぞ。
俺は心の中で呟いた。


でも、不思議なことに少しの安心をも覚えた。
自習机が空いてないならしょうがないよな。
俺は本当に自分はクズだなと思ったが、勉強から逃げる正当性を見つけて安心していたのだ。


俺は読書スペースに移動し、時間を忘れるため読書に耽ることにした。実は前々から読みたい本があったのだ。
羽田圭介の「黒冷水」。
兄弟喧嘩を描くこの作品は、冷静沈着(だと自分では思っていて)頭が切れるかつ陰湿な一面も併せ持つ兄と、幼稚で感情的かつ短絡的で兄の部屋を漁ることが趣味だという弟の兄弟喧嘩(冷戦)をテーマとしている。
羽田圭介は最近テレビによく出ていて知っていたのと、これは彼が17歳の時に書いた小説、さらに史上最年少で文芸賞を受賞した作品だと知ってずっと気になっていたのだ。


ちょうどいい。今日は読書に耽って感傷を吹き飛ばそう。
朝からほとんど朝食を取っていない胃は時折脳に空腹の信号を送ったが、俺はそれを積極的には感知したがらないほど、正確には体勢を変えるなどしてごまかしながら、熱心にページをめくっていた。
あぁ、自分より年下だった人物がこれを書いたのか。久々に読書で興奮を覚えた。刺激の強い表現も多々あるが、そこがまたリアルである。
東野圭吾の「容疑者Xの献身」を読んだとき以来の興奮だった。そのうちレビューを書こうと思う。


読了。さぁ、どれだけ俺を引きずり込んでくれたのだろう。時計を見てかなり驚いた。
時刻は16:20。
自分の読むのが遅いのか、没頭しすぎていたのかは知らないが、約6時間経過していた。
楽しいこと熱中していることは体感時間は一瞬だというけど、まさかここまでとは。
文学の世界に入り込んでしまった。まさに、自分があちら側の世界に立っていた。こんな快感は初めてだった。現実逃避も悪くはない。でも、たまににしよう。


流石に、俺の胃は限界を迎え、食べ物を欲していた。
グランツリーに向けて歩く。
高層マンションが幾重にもそびえ立つ。いくらなんでも建てすぎではないか。これは毎回思うことだ。
台風19号で冠水した武蔵小杉であったが、多くの人が行き交っていた。だが、所々泥が残っているところがあって、台風の威力を実感する。
グランツリーのATMでお金を下ろす。
普段は貧乏性の俺であるが、文学の世界に酔いしれていた私はATM手数料など全く気にすることもなかった。
どうせなら金を使うか。こんな身分で金を使うのもと思い、普段はヨドバシカメラウォーターサーバーの天然水試飲コーナーで喉を潤すことも多かったが、今日はそんなケチくさい男になりきることができなかった。


エレベーターで家族連れに出会う。
彼らは本当に幸せなのか。
周りからは幸せそうに見えても実はなにか内側で抱え込んでることはあるのか。
なぜか妙に哲学的な思考に陥ってしまう。


フードコートに着き、銀だこかラーメンで迷う。銀だこの明太マヨたこ焼きは自分の好物の一つなのだ。
だが、久々に食った物が油物では胃もたれを起こしかねない。
ここは無難にラーメンで抑えた。
税込み850円。高い!これが勘違いマダムのコスギ価格か?
でも今の俺はそんなことは気にしてはならない。


小型の呼び出しマシンが鳴り、オーダーした塩ラーメンを取りに行く。
旨そう。
視覚と嗅覚から俺の食欲を攻めてくる。
携帯を持ち歩いていないので、写真を撮れなかったのが残念だ。まあ、すぐ食べ物を写真に撮ろうとする行為は俺の信条に反する物なのだが。
さあ、まずはスープから拝見、とレンゲでスープをすくい、口に運ぶ。さっぱりとした海鮮風味のスープがさらに食欲を増進させる。
麺とチャーシューを交互に味わいながら3分もたたずとして平らげてしまった。
空腹の時に好物を食す。こんなに幸せなことがあろうか。


雲の間から覗きかける青空を眺めながら家路に着いた。


他人にとっては些細に見えることでも本人にとっては幸せかもしれない。
またその逆もありうる。
でも俺は自分なりに生きようと思う。
しかし、この”ささやかな”息抜きはほどほどしよう。
頑張ったという実感を伴ってこそ行うことに価値があるというものだ。
今日の分はまた明日から取り戻せねばならない。
 

 

音楽と記憶

※当記事はアメブロで2019年9月25日に公開したものです。

五感で一番大切なものは何かと聞かれたら、私は視覚と答える。
おそらくほとんどの人がそう答えるのではないだろうか。

それだけ人間の知覚が目からの情報に依存しているのだ。
考えてみれば、もし目が見えなければこの世の中の色、姿、雰囲気を感じ取れないというのだから恐ろしい。

しかし、聴覚と嗅覚の重要性も忘れてはいけない。
この二つは一見、全く異なるの感覚に思えるかもしれないが、実は両者には共通点があるように思える。


脳の片隅にある古い古い記憶を取り出してくれるということである。


このような経験はないだろうか。
昔ハマっていた音楽を聴いて当時の記憶を呼び覚ましたり、ある匂いを嗅いである場所や出来事の記憶を思い出すなどなど。
私はこのような経験がよくある。
しかも記憶を呼び覚ますという観点で言えば、この二つは視覚に勝るかもしれない。
目から入る記憶は実は曖昧なもので、コレどこかで見たことあるなぁって思っても、大概どこで見たものなのか思い出せないものだ。俗に言うデジャヴってやつ。


今日はタイトル通り聴覚の方について。
私が好きな作曲家に春畑道哉というギタリストがいる。彼の音楽に再開したのは4年ほど前。
父親の車の助手席に乗っていて、ラジオから春畑の “J’s theme”という曲が流れてきた時、私の脳内に革命が起こった。
紛れもなく5、6歳の頃の記憶”親に連れられて横浜の本牧プールに向かう車の中の映像”がくっきりと頭の中に再生されたのだ。
それまでは完全に忘れていた、他愛もない過去の記憶が一瞬にして。


後から聞けば、私の父は私が幼少の頃、よく車の中で春畑の音楽を流していたようだ。その頃の私は無論、春畑の名前も曲名も知らなかった。

それから私は春畑の音楽を聴きあさるようになり、いまでは彼の音楽の虜である。
さらに私が中3の時にどハマりして今でもたまに聞くミスチルも父親が昔よく車の中で流していたものだった。


子どもの好きな音楽が親に影響されるというのにはこういうカラクリがあるのかもしれない。


今朝も、電車の中で春畑の音楽を聞いていたのだが、通勤途中の憂鬱そうなサラリーマンの狭間で幼き頃の記憶を思い出し、感極まって涙を流しそうになった。。。


音楽の力は凄まじい。
過去の記憶を引っ張り出してくれる。
と言うことは勉強にも応用できるのではないか。
暗記モノをやっている時など、ある特定の音楽(歌詞があると集中できないのでインストで!)を流して、後日その音楽を聞けば完全に思い出せるのでは!?!?!?

と思い立ち、実践して見たのだがどうやら効果はあまり見られないようだ...。
人生すんなりとはいかないものである。。。

怖い夢

※当記事はアメブロで2019年4月10日に公開したものです。

夢とはなんだろう?
将来ではなく、寝ている間に見る方だ。
自分の置かれている状況が、現実とはかけ離れていても、自然とそれを受け入れている。
そんな非現実的な状況のなかでも、自分の視覚、聴覚、嗅覚はリアルに再現される。
夢とは一体何なのだろうか。

 


今朝、ひさびさに怖い夢で目覚めた。
なぜか私は旅館の廊下と思しき場所に立っていた。部屋に入った時、立派な和室が目に入ったのを鮮明に覚えている。
窓からは、線路と夜の海が見下ろせた。

 


そんな立派な和室に布団を敷き、寝ようとした時、入り口の扉が開いた。
そこには弓矢を背負ったなまはげのようなものが立っており、私の背中を一発射抜いたのだ。
背中を射抜かれた私は多少痛みを感じたような気はしたものの、そこで息絶えることはなく部屋の外へ逃げだした。
その時、周りの風景は旅館ではなく、高級ホテルのような絨毯の敷かれた廊下と化していた。

 


周りの環境が一瞬で変わるというのも夢あるあるであるが、自分はそれを夢と気づくこともないというのもまた、夢あるあるである。

 


場所が変わってもなお、なまはげは私を追いかけてきていた。階段を駆けおりて逃げたのだが、思ったよりも足の速いなまはげは、すでに私の背中をつかもうとしていた。
もうだめだと思った瞬間、私は自分の部屋のベッドの中にいた。
間一髪で現実世界に帰ってきたのだ。

 


目覚めてから数十秒、私の心臓はいつもより早く鼓動していた。怖い夢などここしばらく見ることがなかったからだ。
おそらく最近、アウトラストなどの有名ホラーゲームの実況プレイを観ていたのが夢に影響を及ぼしたのだろう。

 


夢とは何なのだろう。
現実世界には全く影響を及ぼさない割に、
まるで自分が本当に体験したかのような感覚を与える。それでいて現実世界は夢の世界に影響を及ぼすのだ。


インターネット上に転がっている怖い話でも夢を題材にしたものはよくある。
アニメや漫画でも夢の中での出来事を描写するシーンは当たり前のように出てくる。
人生に全く関与しないことでも夢ほど印象に残るものはこの世にあるのだろうか。

今自分がここにいる世界が、現実世界とは限らない。もしかしたら、夢の世界こそが現実世界なのかもしれない。

そんなことを考えていた平日の昼下がりなのであった。
 

 

小学生のころ公文で号泣した話

※当記事はアメブロで2018年8月13日に公開したものです。

(公文とかいて「くもん」と読みます。)
私も最初はなんて読むのか分からなかった。意味は今でも分からない。


公文といえば殆どの人が聞いたことあるだろう。通っていた人も多いのではないだろうか。私もその1人だ。
私の親はもともと私を公文に入れると決めていたらしい。
小学校3年の夏頃、新しい家に引っ越し、近くに公文があったので私は入塾することとなった。
規模はそこまで大きくない。お世辞にも綺麗とはいえない古い二階建ての建物の一階にそれはあった。
いまどきあまり見られない引き戸を開けると、学校の教室たった1つ分くらいの空間が広がっている。長机が4-5列分くらい並べられており、幼稚園児から中学生くらいだろうか、年齢問わず多くの生徒がプリントを解いていた。


今では疑問だが、当時の俺は既に3年生だったのにもかかわらず、出来が悪かったからであろうか、A(小学1年生向けの教材)からやることになった。
わからない方向けに説明しておくと、公文の教材はA B C...とアルファベット順になっており、Aが小学1年生向け、Bが小学2年生向け、それ以降どんどん上がっていくシステムになっている。
科目は英語、数学、国語の3つがあるが、私は数学のみを受講することになっていた。

無事入会手続きが終わり、はじめて公文で勉強する日がやってきた。
教室に入ると、自分の名前が書かれたファイルを渡され、中を見ると5枚ほどプリントが入っていた。これが今日のノルマらしい。
空き座席に座り、プリントを出して見る。
「簡単すぎる、舐めてるのか?」と思った。
小学1年生向けの教材だから当たり前である。プリント一面に足し算、引き算が印刷されていた。2+4、12-5、10-2.....。
冗談ではなく、プリント5枚ともこんな計算がずらっと並んでいた。最初は驚いたが、どんどん嬉しくなっていった。これを5枚こなすだけで家に帰れるからだ。
行く日も行く日も計算問題を解き続け、ある結論に至った。
「公文って楽勝じゃね?」と。
このときは後に泣きを見る羽目になるとは知る由もない。


時は流れ、私は小学校5年生になっていた。この年、私は大きな山にぶち当たる。
この頃になるとだいぶ教材も進み、小学校の教材を終わらせ中学校の教材に入っていた。アルファベットでいうとG H Iあたりである。
問題数も増え、計算も煩雑になり、当初の余裕は既になくなっていた。さらに小学生の脳みそには理解し難いようなことが頻出するようになっていた。
文字の登場である。今となっては当たり前のように感じるxやyなどの文字。ただの置換に過ぎないこの文字の本質を、小学生の私には理解しきれなかったのであろう。連立方程式で躓いたのである。


これを読んでいる方は疑問に思うだろう。「なぜあんな簡単なものがわからないのか」と。今となっては当たり前のように解ける連立方程式なのになぜだか当時は理解できなかったのだ。


ここで公文式について簡単に説明しておこう。公文では基本教えるということをしない。
プリントの一番初めに例題とその解法が記してあり、そこから法則性を見つけて下にある類題を解いていくといった感じだ。すなわち解法の説明(なぜここでこのような思考に至るのかなど)は一切記されていない。
そして、解き終わったら前の方にいるパートのおばちゃんにプリントを持っていき、採点してもらう。
これは余談ではあるが、丸付けの時の音が好きで、そのおばちゃんが使っているペンがずっと欲しかった覚えがある。


間違えた問題はもう一度自分で解き直し、全部正解するまで終われないというシステムだ。
これは思考力を養うためのプロセスらしいが、正直効果があったのかは疑問である。
どうしてもわからなかった時は、教室長の前に行って聞くのだが本当に最低限しか教えてくれない。さらに「わかりません」と漠然に言っても取り合ってくれず、「ここがなぜこうなるのかわかりません」といったように具体的に聞かなければならなかった。
今までの問題は大概、それでなんとかなっていた。

話を戻そう。


初めて連立方程式を目にした時、私はそれが何を意味するものなのか全くわからなかった。
xとyの式が上下に並んでいる。「これをどうしろというのか?」そう感じた。
例題では、上または下の式を何倍かしてxまたはyを消去するオーソドックスな加減法が用いられていただろうか。
そこまで鮮明には覚えていないが、当時の私には何をしているのかが全くわからなかったのだ。
1問目から解けない。こんなのは初めてである。
当然私は教室長の前にいって助言を求める。
「すみません、わからないので教えてください。」
「どこがわからないの?」
「全部わかりません...」
教室長はため息をつき、説明を始める。
「例題をしっかり見なさい。上の式の両辺を3倍するとどうなる?...そうなるでしょ。そして下の式と係数を比較して(ry」


当時の私には余計なプライドがあり、頭の悪い子だと思われたくなかったのか、大して理解もできていなかったのに「分かりました。ありがとうございます。」とか抜かして座席に戻ってしまった。
当時の私は”聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”という諺を知らなかったのだろう。
そして一人でプリントと格闘する。
やはりわからない。
時計の針はどんどん過ぎて行く。気づけば20:00を過ぎ、生徒も片手で数えるくらいしか残っていなかった。


同じ問題と向き合うこと1時間。もう答えなど出るはずもない。もはや思考は停止している。
観念してもう一度教室長の前に聞きに行く。
「考えて見たのですが、わからなくなってしまったのでもう一度教えてください。」
ここからが地獄の時間であった。
教室長の目が怖い。顔は笑っていても目の奥は笑っていないあの感じ。
そこからのことはよく憶えていないが、気づけば時間は21:00を回り生徒は私のみになっていた。
登校してから4時間あまり、最長記録である。21:00を回っても家に帰してくれる気配は全くない。
教室長がそんな感じなので、採点を担当しているおばちゃんからの「今日はもう時間だし、残りは次回にしようか★」という言葉を期待していたのだが、無駄な期待であった。

そして、(帰りたい...)そう思ったのも束の間、私の目から涙が滴り落ちた。問題が解けない情けなさだろうか、単純に家に帰りたかったからだろうか、意に反して涙は止まらない。
採点のおばちゃんが私に向けていた同情の目を今でも忘れられない...。
泣けば帰れるとの淡い期待も虚しく、結局私は全部解ききらなければならない羽目になるのだった。プリントを涙で濡らしながら。。。


本日は私の黒歴史とともに、公文について書かせていただいたが、私は公文に思うことがいくつかある。


その中でも特に言及したいのは「教えない」という点についてだ。
たしかに、すぐわからないところを教えてしまうというのも思考力が養えなくなることは承知の上である。
しかし、公文の場合はそれが極端すぎる気がする。せめて最初の導入部分(概念や解法)は丁寧に説明するべきということだ。
今回であれば、連立方程式を用いる場面やメリット、加減法の説明などはせめてもう少し詳しく明記しておくべきであったと感じる。
上の例題2問くらいでは、数学の本質を見極めることは非常に困難ではないだろうか、ましてや小学生にとっては。数学というよりも暗号の解読に近いような気がした。


以上の点を踏まえると、確かに公文では計算力や思考力は多少は養うことができるとは思う。
しかし、学校の勉強の補助、定期テスト対策、入試対策には不向きなのはいうまでもない。それが公文のコンセプトであると言い切られてしまえば反論の余地はないが、私は公文に通っていた2年間の間、学力が伸びたと実感できたことはあまりなかった。


小学校5年生の冬、私は公文をやめ某大手集団塾に移籍したが、今思えばこの決断は大成功だったように思う。
やはり、勉強というものは最初の理解が大事である。
その礎を担う「教える」という行為は、『適度』にされて然るべきだと私は思っている。
もし、私に子供ができても公文に通わせる気は毛頭ない。
別に私は公文に対して憎しみがあるわけでも、集団塾を勧めているわけでもないが、これは一個人の意見として受け取ってほしい。

p.s.
余談ではあるが、(公文では宿題もそれなりに出されるだが)宿題を解いていたとき、わからなすぎてイライラしてしまい、プリントをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱にポイしたのち我に帰った。
冷静になった後、ゴミ箱からプリントを取り出し、そのぐちゃぐちゃになってしまったプリントについて教室長にどう説明しようかを3時間ほどかけて考えてひねり出して出たのが、
「床に置いておいたら、犬に食べられてました」
だった。今思えば絶対にバレていたと思う。