自慢でも自己満でもなく心の赴くままに

怠惰な大学生。アメブロに載せた記事で個人的に気に入ったものを再掲してます。今後はこちらに移行予定。

小学生のころ公文で号泣した話

※当記事はアメブロで2018年8月13日に公開したものです。

(公文とかいて「くもん」と読みます。)
私も最初はなんて読むのか分からなかった。意味は今でも分からない。


公文といえば殆どの人が聞いたことあるだろう。通っていた人も多いのではないだろうか。私もその1人だ。
私の親はもともと私を公文に入れると決めていたらしい。
小学校3年の夏頃、新しい家に引っ越し、近くに公文があったので私は入塾することとなった。
規模はそこまで大きくない。お世辞にも綺麗とはいえない古い二階建ての建物の一階にそれはあった。
いまどきあまり見られない引き戸を開けると、学校の教室たった1つ分くらいの空間が広がっている。長机が4-5列分くらい並べられており、幼稚園児から中学生くらいだろうか、年齢問わず多くの生徒がプリントを解いていた。


今では疑問だが、当時の俺は既に3年生だったのにもかかわらず、出来が悪かったからであろうか、A(小学1年生向けの教材)からやることになった。
わからない方向けに説明しておくと、公文の教材はA B C...とアルファベット順になっており、Aが小学1年生向け、Bが小学2年生向け、それ以降どんどん上がっていくシステムになっている。
科目は英語、数学、国語の3つがあるが、私は数学のみを受講することになっていた。

無事入会手続きが終わり、はじめて公文で勉強する日がやってきた。
教室に入ると、自分の名前が書かれたファイルを渡され、中を見ると5枚ほどプリントが入っていた。これが今日のノルマらしい。
空き座席に座り、プリントを出して見る。
「簡単すぎる、舐めてるのか?」と思った。
小学1年生向けの教材だから当たり前である。プリント一面に足し算、引き算が印刷されていた。2+4、12-5、10-2.....。
冗談ではなく、プリント5枚ともこんな計算がずらっと並んでいた。最初は驚いたが、どんどん嬉しくなっていった。これを5枚こなすだけで家に帰れるからだ。
行く日も行く日も計算問題を解き続け、ある結論に至った。
「公文って楽勝じゃね?」と。
このときは後に泣きを見る羽目になるとは知る由もない。


時は流れ、私は小学校5年生になっていた。この年、私は大きな山にぶち当たる。
この頃になるとだいぶ教材も進み、小学校の教材を終わらせ中学校の教材に入っていた。アルファベットでいうとG H Iあたりである。
問題数も増え、計算も煩雑になり、当初の余裕は既になくなっていた。さらに小学生の脳みそには理解し難いようなことが頻出するようになっていた。
文字の登場である。今となっては当たり前のように感じるxやyなどの文字。ただの置換に過ぎないこの文字の本質を、小学生の私には理解しきれなかったのであろう。連立方程式で躓いたのである。


これを読んでいる方は疑問に思うだろう。「なぜあんな簡単なものがわからないのか」と。今となっては当たり前のように解ける連立方程式なのになぜだか当時は理解できなかったのだ。


ここで公文式について簡単に説明しておこう。公文では基本教えるということをしない。
プリントの一番初めに例題とその解法が記してあり、そこから法則性を見つけて下にある類題を解いていくといった感じだ。すなわち解法の説明(なぜここでこのような思考に至るのかなど)は一切記されていない。
そして、解き終わったら前の方にいるパートのおばちゃんにプリントを持っていき、採点してもらう。
これは余談ではあるが、丸付けの時の音が好きで、そのおばちゃんが使っているペンがずっと欲しかった覚えがある。


間違えた問題はもう一度自分で解き直し、全部正解するまで終われないというシステムだ。
これは思考力を養うためのプロセスらしいが、正直効果があったのかは疑問である。
どうしてもわからなかった時は、教室長の前に行って聞くのだが本当に最低限しか教えてくれない。さらに「わかりません」と漠然に言っても取り合ってくれず、「ここがなぜこうなるのかわかりません」といったように具体的に聞かなければならなかった。
今までの問題は大概、それでなんとかなっていた。

話を戻そう。


初めて連立方程式を目にした時、私はそれが何を意味するものなのか全くわからなかった。
xとyの式が上下に並んでいる。「これをどうしろというのか?」そう感じた。
例題では、上または下の式を何倍かしてxまたはyを消去するオーソドックスな加減法が用いられていただろうか。
そこまで鮮明には覚えていないが、当時の私には何をしているのかが全くわからなかったのだ。
1問目から解けない。こんなのは初めてである。
当然私は教室長の前にいって助言を求める。
「すみません、わからないので教えてください。」
「どこがわからないの?」
「全部わかりません...」
教室長はため息をつき、説明を始める。
「例題をしっかり見なさい。上の式の両辺を3倍するとどうなる?...そうなるでしょ。そして下の式と係数を比較して(ry」


当時の私には余計なプライドがあり、頭の悪い子だと思われたくなかったのか、大して理解もできていなかったのに「分かりました。ありがとうございます。」とか抜かして座席に戻ってしまった。
当時の私は”聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”という諺を知らなかったのだろう。
そして一人でプリントと格闘する。
やはりわからない。
時計の針はどんどん過ぎて行く。気づけば20:00を過ぎ、生徒も片手で数えるくらいしか残っていなかった。


同じ問題と向き合うこと1時間。もう答えなど出るはずもない。もはや思考は停止している。
観念してもう一度教室長の前に聞きに行く。
「考えて見たのですが、わからなくなってしまったのでもう一度教えてください。」
ここからが地獄の時間であった。
教室長の目が怖い。顔は笑っていても目の奥は笑っていないあの感じ。
そこからのことはよく憶えていないが、気づけば時間は21:00を回り生徒は私のみになっていた。
登校してから4時間あまり、最長記録である。21:00を回っても家に帰してくれる気配は全くない。
教室長がそんな感じなので、採点を担当しているおばちゃんからの「今日はもう時間だし、残りは次回にしようか★」という言葉を期待していたのだが、無駄な期待であった。

そして、(帰りたい...)そう思ったのも束の間、私の目から涙が滴り落ちた。問題が解けない情けなさだろうか、単純に家に帰りたかったからだろうか、意に反して涙は止まらない。
採点のおばちゃんが私に向けていた同情の目を今でも忘れられない...。
泣けば帰れるとの淡い期待も虚しく、結局私は全部解ききらなければならない羽目になるのだった。プリントを涙で濡らしながら。。。


本日は私の黒歴史とともに、公文について書かせていただいたが、私は公文に思うことがいくつかある。


その中でも特に言及したいのは「教えない」という点についてだ。
たしかに、すぐわからないところを教えてしまうというのも思考力が養えなくなることは承知の上である。
しかし、公文の場合はそれが極端すぎる気がする。せめて最初の導入部分(概念や解法)は丁寧に説明するべきということだ。
今回であれば、連立方程式を用いる場面やメリット、加減法の説明などはせめてもう少し詳しく明記しておくべきであったと感じる。
上の例題2問くらいでは、数学の本質を見極めることは非常に困難ではないだろうか、ましてや小学生にとっては。数学というよりも暗号の解読に近いような気がした。


以上の点を踏まえると、確かに公文では計算力や思考力は多少は養うことができるとは思う。
しかし、学校の勉強の補助、定期テスト対策、入試対策には不向きなのはいうまでもない。それが公文のコンセプトであると言い切られてしまえば反論の余地はないが、私は公文に通っていた2年間の間、学力が伸びたと実感できたことはあまりなかった。


小学校5年生の冬、私は公文をやめ某大手集団塾に移籍したが、今思えばこの決断は大成功だったように思う。
やはり、勉強というものは最初の理解が大事である。
その礎を担う「教える」という行為は、『適度』にされて然るべきだと私は思っている。
もし、私に子供ができても公文に通わせる気は毛頭ない。
別に私は公文に対して憎しみがあるわけでも、集団塾を勧めているわけでもないが、これは一個人の意見として受け取ってほしい。

p.s.
余談ではあるが、(公文では宿題もそれなりに出されるだが)宿題を解いていたとき、わからなすぎてイライラしてしまい、プリントをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱にポイしたのち我に帰った。
冷静になった後、ゴミ箱からプリントを取り出し、そのぐちゃぐちゃになってしまったプリントについて教室長にどう説明しようかを3時間ほどかけて考えてひねり出して出たのが、
「床に置いておいたら、犬に食べられてました」
だった。今思えば絶対にバレていたと思う。