自慢でも自己満でもなく心の赴くままに

怠惰な大学生。アメブロに載せた記事で個人的に気に入ったものを再掲してます。今後はこちらに移行予定。

時間を忘れた現実逃避

※当記事はアメブロで2019年10月20日に公開したものです。

やらなければならないことがあると頭では分かっていても行動に移せないことが多々あり、
そういうときは大体、やらないことを正当化する理由を探してしまう。


俺はいつものように自習室へと家を出た。
最近よく受験関係の夢でうなされて起きることがある。不安を消すには、不安する暇ないくらい努力を重ね、かりに失敗しても後悔のしないと思えるくらいの過程を築かなければならないことは頭では理解しているはずなのに。。。


自習室受付カウンターの前に立ってみたのだが、財布の中に学生証がないことに気づいた。
昨日履いていたズボンのポケットに入れたまま財布に戻し忘れていたのだ。
学生証がなければブース型自習室は使えない。


あぁ正当化する理由ができた。
愚かな俺は一抹の悦びを感じる。
「そうだ、中原図書館へ行こう」
こういうときの行動力だけは自慢できる。
少しの時間だけでも勉強から逃れたくて、俺は東横線に乗った。
電車の中では一応政経の参考書を開きながら。


電車の中はけっこう集中できる。
自習室に篭っているときは、ただ勉強しているだけで時間が過ぎていく恐怖というか形容し難い感覚を覚えることがあるのだが、電車に乗ることで「移動」という行為が加わる。
それだけでなにもしていない時間が何故か正当化できるような気がするのだ。


流れる車窓は俺の心を少しばかり癒してくれた。
学歴主義とはなんなのだろう。いまの俺がそんなことを考えても負け犬の遠吠えにすぎないが。


高速で流れる車窓を眺め、武蔵小杉で下車する。
時刻は9:58。ちょうど東急スクエアの開店時刻だった。
お店の開店時間に居合わせるのはとても久しぶりな気がして、少し嬉しくなった。
一番乗りだ。
はやる童心を押さえながら図書館へ向かった。


図書館は開館からまだ30分しか立っていないのに大勢の人であふれていた。
パソコンで作業をするサラリーマンらしき人、新聞を読んでる老人、そして何より同じ立場の受験を控えた学生。
俺はこいつらに負けた。敵を目前にして少しの焦りを感じた。


自習用机の空きを探す。
驚くことにもう満席だった。
皆、開館前からずっと並んでいたのか。
俺は少しの苛立ちを覚えたが、他人のその熱意には少し敬意の念を覚えた。
だが、席取りだけはどうも腹立たしい。
平和ボケしやがって。南米とかだったらとっくにお前の荷物も置き引きされてるぞ。
俺は心の中で呟いた。


でも、不思議なことに少しの安心をも覚えた。
自習机が空いてないならしょうがないよな。
俺は本当に自分はクズだなと思ったが、勉強から逃げる正当性を見つけて安心していたのだ。


俺は読書スペースに移動し、時間を忘れるため読書に耽ることにした。実は前々から読みたい本があったのだ。
羽田圭介の「黒冷水」。
兄弟喧嘩を描くこの作品は、冷静沈着(だと自分では思っていて)頭が切れるかつ陰湿な一面も併せ持つ兄と、幼稚で感情的かつ短絡的で兄の部屋を漁ることが趣味だという弟の兄弟喧嘩(冷戦)をテーマとしている。
羽田圭介は最近テレビによく出ていて知っていたのと、これは彼が17歳の時に書いた小説、さらに史上最年少で文芸賞を受賞した作品だと知ってずっと気になっていたのだ。


ちょうどいい。今日は読書に耽って感傷を吹き飛ばそう。
朝からほとんど朝食を取っていない胃は時折脳に空腹の信号を送ったが、俺はそれを積極的には感知したがらないほど、正確には体勢を変えるなどしてごまかしながら、熱心にページをめくっていた。
あぁ、自分より年下だった人物がこれを書いたのか。久々に読書で興奮を覚えた。刺激の強い表現も多々あるが、そこがまたリアルである。
東野圭吾の「容疑者Xの献身」を読んだとき以来の興奮だった。そのうちレビューを書こうと思う。


読了。さぁ、どれだけ俺を引きずり込んでくれたのだろう。時計を見てかなり驚いた。
時刻は16:20。
自分の読むのが遅いのか、没頭しすぎていたのかは知らないが、約6時間経過していた。
楽しいこと熱中していることは体感時間は一瞬だというけど、まさかここまでとは。
文学の世界に入り込んでしまった。まさに、自分があちら側の世界に立っていた。こんな快感は初めてだった。現実逃避も悪くはない。でも、たまににしよう。


流石に、俺の胃は限界を迎え、食べ物を欲していた。
グランツリーに向けて歩く。
高層マンションが幾重にもそびえ立つ。いくらなんでも建てすぎではないか。これは毎回思うことだ。
台風19号で冠水した武蔵小杉であったが、多くの人が行き交っていた。だが、所々泥が残っているところがあって、台風の威力を実感する。
グランツリーのATMでお金を下ろす。
普段は貧乏性の俺であるが、文学の世界に酔いしれていた私はATM手数料など全く気にすることもなかった。
どうせなら金を使うか。こんな身分で金を使うのもと思い、普段はヨドバシカメラウォーターサーバーの天然水試飲コーナーで喉を潤すことも多かったが、今日はそんなケチくさい男になりきることができなかった。


エレベーターで家族連れに出会う。
彼らは本当に幸せなのか。
周りからは幸せそうに見えても実はなにか内側で抱え込んでることはあるのか。
なぜか妙に哲学的な思考に陥ってしまう。


フードコートに着き、銀だこかラーメンで迷う。銀だこの明太マヨたこ焼きは自分の好物の一つなのだ。
だが、久々に食った物が油物では胃もたれを起こしかねない。
ここは無難にラーメンで抑えた。
税込み850円。高い!これが勘違いマダムのコスギ価格か?
でも今の俺はそんなことは気にしてはならない。


小型の呼び出しマシンが鳴り、オーダーした塩ラーメンを取りに行く。
旨そう。
視覚と嗅覚から俺の食欲を攻めてくる。
携帯を持ち歩いていないので、写真を撮れなかったのが残念だ。まあ、すぐ食べ物を写真に撮ろうとする行為は俺の信条に反する物なのだが。
さあ、まずはスープから拝見、とレンゲでスープをすくい、口に運ぶ。さっぱりとした海鮮風味のスープがさらに食欲を増進させる。
麺とチャーシューを交互に味わいながら3分もたたずとして平らげてしまった。
空腹の時に好物を食す。こんなに幸せなことがあろうか。


雲の間から覗きかける青空を眺めながら家路に着いた。


他人にとっては些細に見えることでも本人にとっては幸せかもしれない。
またその逆もありうる。
でも俺は自分なりに生きようと思う。
しかし、この”ささやかな”息抜きはほどほどしよう。
頑張ったという実感を伴ってこそ行うことに価値があるというものだ。
今日の分はまた明日から取り戻せねばならない。